決意

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敗戦から5か月、新年の決意 〜平成18年1月〜

たきぐち学敗戦から5か月新年の決意

「 経済一流、政治三流」 そう言われていた時代があった。
少年心ながら違和感を感じていた。

昭和45年(1970年)に生を受けた私は、いわゆる団塊ジュニア世代と呼ばれている。

幼少期を高度成長期の中で育ち、大学時代にバブル経済が崩壊、買い手市場の就職活動を経て、社会人へ。携帯電話とインターネットの普及で、社会のシステムが変わった。そんな世代である。
そして今、結婚して子どものいる家庭を築いたものは、団塊ジュニアマーケットの一翼を担い、いまだに独身でいるものは、各自の領域を謳歌している。声高に世代論を唱えるつもりはないが、社会的な責任を感じる年代となったことは確かだ。 私はサラリーマンの家庭の長男として育った。政治が身近にあった訳ではない。
それでも大学生時代にベルリンの壁の撤廃(1989年)、湾岸戦争(1991年)、ソ連邦の崩壊(1991年)を目の当たりにし、激動する国際情勢を体感した。また、リクルート事件、佐川急便事件、金丸事件等の政界汚職が相次ぎ、報道される型通り「政治改革」の必要性を感じた。友人と酒を飲みながら、政治談議に口角泡を飛ばしあった時期もある。

バブル崩壊から15年、一流と言われた日本経済は大きな転換期にある。冷戦終結から15年、国際情勢は混沌とした様相を強めている。少子高齢化の進む日本は、いよいよ人口減少時代に突入した。国と地方の借金は770兆円に達し、財政再建は喫緊かつ最重要課題となっている。フリーター・ニート人口は270万人を数え、年金制度は破綻。安全神話は崩壊し、社会道徳は荒廃の一途を辿っている、と多くの日本人が感じている。世界に目を転ずれば、衝撃的な9.11NY同時多発テロは記憶に新しく、イラク戦争を巡る自爆テロの連鎖はとどまるところを知らない。まさに文明の衝突時代にあり、日本は戦略的な外交政策を打ち出す必要性に迫られている。こうした中で、日本人拉致事件はいまだ解決に至っていない。日本社会のベクトルはマイナスに向いたまま、ただ不安感だけ増幅しているようだ。

このままで良いのか?

平成17年2月、朝6時45分、初めて町屋駅に立った。挨拶から始めた。1週間後にチラシを配り始め、マイクを握った。雪の朝には思いがけずホッカイロを手渡され、暖かい飲み物の差し入れに勇気づけられたこともある。声をかけていただく方々が徐々に増えていくのを感じながら、6月、東京都議会議員選挙に立候補した。結果は、得票数14,154票、次点。ご支援をいただいた方々のご期待に応える結果を残すことはできなかったが、その責任の重さを痛感した。

都議会議員選挙後には、突如の解散総選挙。「小泉劇場」による政権与党の圧勝、民主党大敗。政治改革の一環として導入された小選挙区の特性が初めて顕著に表れたという意味で、政治史上大きな意味を持つ結果となった。

私にとって選挙に始まり、選挙で終わった感のあるこの年は、安心・安全が問われる1年でもあった。広島、今市で女児殺害事件が相次ぎ、「子どもの安全」が脅かされている。また、100名を超える犠牲者を出したJR福知山線の脱線事故、さらに、マンションの耐震強度偽装問題が発覚、今なお事件の解明には至っていない。「安全性よりも利益」が優先される現代社会の病理があぶりだされている。

幕末の志士たちは、瓦全(生きているだけで大した事をしない)を恐れるがゆえ、次々と斃れていったと言う。私たちは、直面する様々な問題に対して「当事者意識」を欠いてはいないだろうか?「誰かがやってくれる(人任せ)」、「自分には関係ない(無関心)」、「あれはおかしい、これもおかしい(評論家気取り)」等々。福沢諭吉は「その国の政治の良し悪しは国民のレベルによる」と喝破した。そう、政治のレベルは国民のレベル。少年時代に感じた違和感の答えがそこにある。

私には3歳と1歳の2人の子どもがいる。
人任せでいられない、無関心でもいられない、評論するよりまず動かねば。

未来への責任。

「過去」と「現在」、そして「未来」をつなぐ役割を果たしたい。
明るく、元気に、ともに前進しよう!


平成18年1月
滝口学 拝

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